塩おにぎりもう1個食べたい。
僕は1949年9月の生まれです。
1945年8月15日終戦の年より4年が経過し、食糧難や疫病、治安などが少し落ち着いた頃になりますが、それでも生活を営むのは困難な時代であったそうです。
食べる物の確保、住む場所の確保、仕事に有りつき、賃金を得ることの困難な時代に生きた親兄弟、先輩方々の苦労は並大抵のものではなかっただろう事は容易に想像できます。
僕の生きた戦後ベビーブーム世代に於いても単純に生きて行くことに「辛抱」「我慢」「忍耐」は常に生活の中で認識していました。育ち盛りの子供達にとっての食糧事情の停滞は辛く悲しいものでした。
白米に塩おにぎり、中は梅干し最高の御馳走でした。「2個でなくもう1個、3個食べたかったなァー」お大人になって働くようになったら好きなモノを腹いっぱい食べよう、と兄弟で話したものでした。
社会に出て学歴の無く特別な才能も持ち合わせず、コネもなく、無いモノ尽くしの中で「スキル」を重ねたものでした。
物心ついた頃からの「忍耐」を磨くことで、長時間の労働に耐えるスタミナや一番を目指す競争心、闘争心と困難に動じないメンタルを身に付けることが出来たのではないかと思います。
お金は欲しい、裕福になりたい、それは自分が動いた結果として何かが起こる。結果責任は、全て自分で取ることです。
誰でも出来る仕事をしていては金は稼げない、替えの効かない人間にならなければ金は稼げない。業種事態に関わらず同じでしょう。
何時でも、自分の人生の責任は全て自分でとることだ。覚悟すればいいんです。働くとは人生を創造することです。
次回につづく。